「遙かなる夏より 〜ロック青春記」

       第6話 バンドやる奴いないかなぁ…


 2年生になった頃には、「チロル会音楽部」は、器楽部の裏活動という意識も薄れ、メンバー探しが、日課となってゆく。メンバー探しなどのためには1学年千人近い人数というのは、いろんな人材が潜んでいそうで、漠然と期待を持たせてくれるには充分だった。
ヴォーカルに、末原君の同級生有川君が参加したり、リズム・ギターとして、僕の幼馴染みの内村博文君を誘ったりと、いろんな顔が思い浮かぶ。

 有川君は、ビートルズやストーンズに興味があり、ルックスも良く、バンドにおけるミック・ジャガー役や、沢田研二役を期待し、「イエスタデイ」や「テル・ミー」「青い鳥」などを歌ってもらって録音もした。何度か練習に参加してくれたのだが、そのうち姿を見せなくなった。
 思うに、これは僕が仕切り過ぎたのが原因だったような気がする。歌いたいパートを歌ってもらうのではなく、いつもこちらから指定していたから…。たとえば、曲によっては、バッキング・ヴォーカルをやりたいと言ったこともあったが、それに応えたことは一度もなく、常にリード・ヴォーカル担当。何か不満げだった彼の顔が、今でも忘れられない。

 ギターの内村君は、コード演奏が上手かった。中学生だった当時のレヴェルというのは、皆まだまだ大したことはなく、ギターが弾けると言っても、ハイポジションのコードが押さえられない子が多かった。そんな中で、2回ほど参加してくれた内村君は、造作も無く弾けたので、皆がその後の参加を望んだが、コードばかりを弾き続けることに面白味を感じなかったのか、練習の場の空気に馴染まなかったのか、3度目の誘いには乗ってこなかった。

 「もう1つのチロル会」の結成を画策したこともあった。詳しい経緯は忘れたが、ギターが弾けた同級生の鎌田徹君と周辺にいた友だちらと組んでやってみようという話になった。僕にとって、誰かと合せて楽しめる場は、特に1つに限る必要も無かった。
 そうして集まったメンバーの中には、全く知らない顔もあったが、ベースは大野君という、がっちりとした体格の目鼻立ちのはっきりした子だった。温厚で人好きのする性格だったという印象がある。練習場はその大野君の家。
 しかし、この計画は、1歩踏み出しただけで、次の1歩が無かった。こちらからは、「またやろう」と催促したのだが、勉強もしなくてはならないし、なかなか時間が取れないという返事が繰り返されるばかりで、継続的にやってみたいという意志を持つまでには至らなかった。
 文化祭や、地域の行事など、目前に迫った発表の場があるわけでもなく、「演奏を楽しみたい」というだけで、継続的に集まるということは、よほど好きな者が揃っていないと成り立たないということを、これで実感した。
 チロル会では、全く感じたことのなかったことだったが、「もう1つのチロル会」では、自分のやる気が、虚しくも空回りしてしまったのである。
 活動を続けられるメンバー探しは、そんな具合に、なかなかすんなりとはいかなかった。

 少し話はそれるが、ビートルズのメンバーだったポール・マッカートニー死亡説が、その頃、ロック・ファンの間で話題になっていた。アビー・ロードのジャケット写真で、四人のメンバー中、ポールだけが裸足で歩いている話とか、「カム・トゥゲザー」の歌詞に
「One and one and one is three」という一節があることなど、ご多分に漏れず、僕らも話題にした。
 そのポール死亡説に最も興味を示したのが、「もう1つのチロル会」への引きずり込みに失敗した同級生・鎌田君。ポールのファンで、ビートルズの、あるシングル・レコードのジャケット写真に写ったポールの顔が、彼に少し似て見えることから、すっかり気を良くし、また、徹という名前の響きがポールに似ていることから、トール・マッカートニーを自称。周囲にも盛んにそれをアピールしていた。
 それに刺激された同級生の伊集院正君。「いじょうじ・ハリスン」なんていう、めちゃ苦しい駄洒落で、強引に自分をジョージ化しようとしていたが、こちらは、ほとんど周りからの認知は得られなかったようだ。
 伊集院君とは、学校帰りに甲突川沿いを歩きながら、学校での事や音楽その他、いろんなことを話したものだ。西に傾いた陽光が川面に揺れる様子を見ながら、普通に歩けば30分程度の道のりを、1時間もかけて歩きながら、あれやこれやと喋くるのは楽しかった。
 当時、護国橋のそばに小さなレコード店があって、そこにちょくちょく寄っては、試聴させてもらった。少ない小遣いでレコードを買うようになったのはその頃からで、国内モノではザ・タイガースのシングル盤「廃墟の鳩」、洋モノでは、ビートルズの「カム・トゥゲザー」が、それぞれ最初の1枚だった。
 この伊集院君から、ギターの上手いヤツがいるという話を聞いたことがあった。大隈半島の鹿屋に転校してしまったということだったので、知り合うことなど無いだろうと思っていたのだが、意外にも、その後、3年になってから偶然知り合い、共に演奏活動することになる。

 トール・マッカートニーこと鎌田徹君からも、ギターの上手いヤツがいるという話を聞いた。
 それが、後にツイストでプロ・デビューすることになる鮫島秀樹君だった。鎌田君の話によると、鮫島君は末原君より上手いかもしれない、ということで、末原君も期待半分、恐れ半分という感じだった。
 初めて誘いかけてから、実際に音を合わせるまでに、家の引越しか、仕事の手伝いだかで、確か1週間ほど待たされたと思う。

 鮫島君が登場したところで、少し時を遡って、小学生時代のことを話してみたい。鹿児島市立西田小学校に、彼が転校してきたのは、4年生のときだった。

  (つづく)
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