西郷隆盛は「おいどん」と言っていたのか?


「おいどん」という1人称代名詞は、代表的な鹿児島弁として、全国的に知られている。この「おいどん」という言葉、一部の辞書では、薩摩武士が使った言葉としてあり、テレビドラマに登場する明治維新の立役者西郷隆盛も、自分のことを「おいどん」と呼ぶケースが多いようだ。
 現在でも、地方色を出すために鹿児島関連の商標としては、よく使われているようだが、実際にはほとんど使われない言葉である。インターネットで検索してみても、他府県の人から、鹿児島の人は自分のことを「おいどん」と言うのかと訊かれて辟易しているというような書き込みが多い。今、「ほとんど使われない」と書いたが、それどころか、つい最近まで、単数1人称の「おいどん」は、「昔は使われていたが、今では使われなくなった言葉」ではなく、もともとこの世に存在しない言葉だと思っていた。
 僕は、鹿児島市に生まれ育ち、19才になるまで鹿児島で過ごした。28年の県外生活を経てUターン、以後2年余りが経過したので、計21年間鹿児島で生活していることになる。昭和31年生まれで、標準語化教育の真っ只中で育った世代だが、親世代は、まだ普通に方言使っていたし、同世代の子どもたちの多くも方言を使っていた。そんな中にあって、1度たりとも、自分を「おいどん」と称する人に会ったことがないのだ。

 鹿児島弁における単数1人称代名詞に「おい」という言葉がある。これは「俺」が変化したもので、こちらは今でも一般的に使われる。「おいどん」という言葉は、この「おい」に「どん」が付いたものだ。
 では、この「どん」とは何かというと、これには2種類あって、ひとつが「殿」、もうひとつが「共」の変化したものである。この2つの「どん」を「おい」の後に付けたものを標準語化すると「俺殿」「俺共」となる。前者は、自分に対する尊敬表現となり、これはちょっとおかしなことになる。もうひとつの「俺共」の意の「おいどん」は、「われわれ」という複数1人称で、こちらは何一つ不自然なところはない
 この複数1人称の「おいどん」が、単数だと誤解されて全国に広まったのではないかと思っていた。西郷さんにしても、複数1人称としては、「おいどん」という言葉を使っていただろう。その場合、決して、自分1人を指すのではなく、「われわれ」という意味で使っていたはずである。インターネット検索してみると、全く同じように考えている人の存在を確認できるので、僕が例外的な1人ではないことがわかる。

 鹿児島県鹿屋市に、正規の授業に方言教育を取り入れている小学校があって、そこのサイトを開いてみると、鹿児島弁の単語を標準語に訳した薩和辞典のような部分があるが、そこから、人称代名詞をピックアップしてみると…。

   単数       複数
  おい(自分)  おいどん(われわれ)
  わい(君)   わいどん(君たち)
  あい(彼)   あいどん(彼ら)

 単数1人称の「おいどん」は紹介されておらず「われわれ」とだけ書かれている。

 というわけで、この「おいどん」が誤用されて広まっている現状を、どうにか是正したいという思いに取り付かれていた時期があった。
 インターネットを使い、「おいどん」で検索し、1人称単数の「おいどん」について書かれたホームページやブログを見つけ、いくつかのコメントを書いた。
 その中から1件だけ、レスが返ってきた。そのブログの主は、関西出身で、現在は鹿児島に住んでいらっしゃる方だった。
 その方は、「おいどん」が複数1人称だということをご存知なかったようで、かなり驚いておられた。他府県に生まれ育った方だと、「おいどん」を単数1人称代名詞だと思い込んでいたのも無理のないことだ。

 ところが、話はここで終わることなく、新たな展開を見せることになる。「おいどん」を単数1人称代名詞として使っているという鹿児島県人からのコメントが寄せられたのである。
 「おい」は「俺」にあたる、同輩以下の相手に使う言葉。目上の方には「おい」では失礼にあたるので「おいどん」を使い、そして複数1人称としては「おいどんたち」を使っていたという。
 僕の知らないところに、単数1人称「おいどん」が使われる空間が存在していたのである。

 薩摩には昔から「あたい」という丁寧な単数1人称代名詞がある。かつて、NHK大河ドラマ『勝海舟』で、鹿児島出身のコメディアン南州太郎が若き薩摩武士(具体的な名前は忘れましたが)を、きれいな鹿児島弁を使って好演していたが、そのとき使われていた1人称単数も「あたい」であった。
 今年に入ってから、あるテレビ番組に鹿児島県出身のタレント・坂上二郎さんが出演し、鹿児島弁で挨拶しておられたが、彼も「あたい」という1人称を使っていた。

 なぜ「あたい」という丁寧な単数1人称があるのに、それが使われずに、「おいどん」が使われるようになったのか…、それについて考えを巡らさずにはいられなかった。
 おいどん(われわれ)、わいどん(君たち)、あいどん(彼ら)、という一連の複数人称代名詞の中に「おいどんたち」という言葉は、どうもしっくりと馴染まない。
 主として東京下町や花柳界の女性や子供が用いた「あたし」よりくだけた言い方としての「あたい」のイメージが、マスコミを通じて昭和以降流入してきて、その言葉に抵抗が生まれた結果、全国に広まった誤用された「おいどん」が逆輸入され転用されるようになったのではないか。つまり、古来の薩摩語ではなく、比較的新しい鹿児島弁なのではないだろうか…。

 そこで、更なる情報を求めて、県立図書館に出向き、大久保寛氏著『さつま語辞典』を、県立図書館から借りてきた。
 そこには、「おいどん」は、「複数を意味する場合と、婉曲表現がある」と書いてあった。この「婉曲表現」が、一体なにを婉曲的に示しているのか、イマイチはっきりしない。
 しかし、さらに「〜どん」の項目を見てみたときには、まさに目からウロコといった心境だった。そこには、実に9種類もの使用法が挙げられていた。

@人の姓につける。A名前につける。B身内につける。C職業に付ける。D動物に付ける。E大事な施設・場所に付ける。F節・行事に付ける。G自然現象に付ける。Hある種の人に、本来の敬意ではなく、からかい・軽蔑の意を込めて付ける。
 
 本来、尊敬の接尾語であるはずの「どん(殿)」が、これほどまでに様々な形に転用されている様子に驚いてしまった。
 B以下についての具体例を挙げると、
B【この場合謙譲語となる】おやっ(親爺)どん。かか(母)どん。婆どん。
C医者どん。巡査どん。でっ(大工)どん。石切いどん。
Dさっ(猿)どん。くっ(亀)どん。どんこ(蛙)どん。
E墓どん。ついばっ(手水鉢)どん。
Fしょがっ(正月)どん。
Gかんない(雷)どん。

 なるほど!と思った。おやっどん。どんこどん。墓どん。しょがっどん。もう、ありとあらゆるものに「どん」が付けられている感じだ。ここに漂うユーモア感覚を思うと、この列のなかに「おいどん(俺殿)」という呼び方が入っても不自然ではない。
 これを見ると、単数一人称「おいどん」は、副次的に発生した用法に見える。本来尊敬語だった「どん」が、ユーモア感覚を伴って、身内や職業だけでなく、動物にまで親しみを持って使われ、さらに自分に対して用いられるようになった。そして、そこに謙譲の意味が派生的に生じたという経緯が見えてくる。
 この用法例を見ていると、何かのどかな農村風景が思い浮かんでくる。『さつま語辞典』の巻頭をよく見てみると、著者大久保寛氏の出身地「川内市・薩摩郡で使われた言葉についてまとめた」というコメントがあった。
               
 これを機に、自分の手の届く範囲で、「おいどん」について簡単な聞き込み調査をしてみた。
 大正13年生まれの父からは、「自分のことを『おいどん』とは言わない」という返答があった。加世田市出身で、鹿児島県で定年まで教員を勤めた人なので、数多くの鹿児島県人と接してきた。単数1人称の鹿児島弁は「あたい」であり、士族が使っていた丁寧な言葉だとも言い切った。
 その他に、鹿児島在住の5人から返答があった。そのうち2人が、自分を「おいどん」と呼ぶ人に接したことがあるということだった。
 そのうち1人は、
「子供のころ鹿屋市にいて、そのころ『おいどんたちゃ』という形で聞いたことがある。鹿児島市では、おいどんとは言わないのではないか」
 もう1人は、
「『おいどん』という人も、何人かはいたと思うけど、それはごく少数であり、『あたい』のほうが多数」
 とのこと。
 残る3人中、2人が、
「自分を『おいどん』という人には接したことがない」
 1人が、
「自分が鹿児島弁を良く知らないので、全くわからない」
 以上のような結果だった。5人中2人は、全く耳にしたことがなく、聞いたことがあるという2人にしても、その回数は極めて少ない。

単数1人称「おいどん」は、大久保寛氏著による川内市、薩摩郡で使われていた言葉について書かれた本に示された「どん」の使用例から伝わってくる雰囲気や、現在、鹿児島市ではほとんど耳にしないことから判断すると、鹿児島城下から離れ、原型的な武家言葉の堅苦しさから解き放たれたところで、派生的に生まれたものだろうと思う。それは、幕末に多数の優れた人材を輩出した薩摩武士たちの向上心に満ちた血気盛んな気風に馴染むものではなく、西郷隆盛も、自分のことを「おいどん」とは呼んでいなかったと思われる。
 「おいどん」という単数1人称代名詞は、鹿児島弁としては、亜種的なものだと思われるが、その響きに、独特の個性と存在感があったため、代表的な鹿児島弁として広まってしまい、薩摩の英雄「西郷どん」とセットにされてしまったというのが真相ではなかろうか。

 ただ、今回ひょんなことから、旧川内市、薩摩郡で使われていた言葉を(少しではあるが)知ることになり、鹿児島城下より、むしろ農村地帯のほうに、のびのびとした魅力的な表現が多数見られるのではないか、という気にさせられた。多種多様な鹿児島弁に、これから出会えるのが楽しみでもある。
 それと、「おいどん」という言葉にこだわって、検索して飛び込んだ先のブログの主さんと、その後もネット上でのお付き合いが続いているのも、嬉しいことである。

                  (2006年 4月)





 


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