「 アヴィニョンの橋の上で 」

     
 

 「橋の上で、踊るよ、踊るよ。橋の上で輪になって踊る」という歌詞で有名なフランス民謡『アヴィニョンの橋の上で』。この歌を始めて耳にしたのは、小学校1年のときだったと思う。
 ピアノのレッスンでの教材曲として、そしてNHKの番組『みんなの歌』で取り上げられた曲として出会ったわけだが、歌詞の内容がどうも気になった。

 鹿児島市で生まれ育った自分にとって、橋とは、身近に存在する西田橋だった。当時住んでいた常盤町から、市の中心街天文館に出るときなど、バスでよくその石橋を通ったものだ。平成5年の水害後、解体移設され、今では石橋記念公園に設置されているが、当時は、市民の生活に密着した存在だった。
 江戸末期、薩摩藩が、肥後の天才石工岩永三五郎を登用し建立した、城下の玄関口として藩の威光をを誇示した橋…、なのだが、小学校1年当時は、そんなことも全く知らなかった。
 常盤町方面と市の中心部を結ぶ幹線道路に架かっていたので、当然交通量も多く、そんなところで踊るなどということが、全く理解できなかった。もし、通行量の少ない滅多に人の渡らない橋が身近にあったのなら、それほどの疑問も感じなかっただろうが、6歳の子どもにとって、その西田橋がこの世に存在する唯一無二の橋であり、「橋の上で踊る」という状況を、そこに当て嵌める以外に想像力が働かなかった。
 西田橋の上で、手を繋いで輪になって踊る光景を思い浮かべてみると、毎回、必ず車に跳ねられるか、川に落ちてしまうのだ。
 えらく窮屈で物騒な気分にさせられるその歌は、とんでもなく迷惑な、「悪い歌」として、ストレスの原因となった。

 6歳児の常として、その不可思議な歌のことを親に訊いてみた。なんで橋の上で踊るのか、そんな狭い場所では、輪になって踊れないではないか、と…。
 それに対する答えは、「世界には輪になって踊れるほど広い橋があるのだろう」という適当なもの。いわゆるその場しのぎだった。その言葉を信じ、想像した広場のような橋の様子が、今でも目に浮かぶ。
 それ以来しばらく、西田橋の印象は、狭くちっぽけな日本の悪しき象徴として、石造りの垢抜けしない苔むした情けない橋として刷り込まれてしまったのだから、子ども相手と言えども、あまり適当なことは言わないほうが良いと思う(笑)
 3〜4年のときの担任の先生から、西田橋が価値ある橋だと聞かされたときは、そのイメージが覆り、誇らしく思うと同時に、なんだか橋に対して申し訳ない気持ちになったものだ。

 その後、アヴィニョンの橋については、何が何でも真相を知りたいという気持ちになったことはなかったが、日曜日の歩行者天国の様子を見ていて、ふと子どものころの疑問を思い出したことがあった。
 落成記念の歌として作られ、その後年に一度、橋上を歩行者天国状態にして舞踊祭が開かれるのか…、などと、何気なく、ふと頭をよぎったが、それ以上調べてみるでもなく、そのまま放ってあった。

 それが、まさか人生上の大問題として眼前に迫って来ることになろうとは、夢にも思わなかった。6歳のときに感じたまま放り出してあった疑問を、再度紐解いて正面から取り組まなければならない事態に、ついに遭遇してしまったのだ。 
 というのは、ちょっと大袈裟。ちょっと表現上遊び過ぎてしまった。失礼。
 ピアノ講師として取り扱っている曲集の中に、その曲があったのだが、フランスの現代作曲家ドミニク・ジェフロワのアレンジが、なかなか面白いものだった。

 この歌のある部分を思い出してほしい。
 「おじさんがとおる おばさんがとおる 坊さんがとおる 兵隊さんがとおる」
 とおる、とおると、4回繰り返されている。同じメロディーを4回も繰り返すということは、作曲学的に見ると普通のことではない。かなり変則的なことである。しかも、この部分のメロディーは、2音を行ったり来たりしているだけで、その部分だけが不自然に硬直していて、妙に耳につく。
 ジェフロワは、曲にちょっとした細工をし、その部分以外を、1拍ずらしている。そのことにより、その硬直したメロディーの前後に、1拍ずつの不思議な間を生じさせ、実にユーモラスな効果を生んでいる。
 そのアレンジを目にしたときに、幼き日の疑問が再び蘇えってきた。一体、アヴィニョンの橋とは何なのか? その疑問を解決することが、演奏表現を指導する上でも、大きく役に立つはずだ。
 今だったら、インターネットで検索すれば簡単に情報が得られるが、時は15年以上前。当時、パソコンは、音楽制作専用のものを1台持っているだけで、インターネットとは無縁の生活を送っていた。だから、書店巡りをして、その橋の写真と説明文を見つけたときには嬉しかった。

 この有名な橋について、建立までの経緯を、あなたは知っているかもしれない。
 アヴィニョンの上流に住んでいたヴェネゼという羊飼いが、1177年、天のお告げで「ローヌ河に橋を架けよ」と聞いた。寺院や市役所に話したが狂人扱いをされ、町中の笑い者になった。群集の一人の僧侶が、からかい半分に10×2メートルの巨石を指差し「これを持ち上げたら神のお告げを信じよう。寺院の助けも借りられる」と言った。
 群集の嘲笑のなかでヴェネゼは祈った後、この石を持ち上げ言った。
 「この石を橋の礎石にするんだ」
 これを見た群集と僧侶は寺院と役所に駆け込み、奇跡の話をした結果、市民も含めて工事を始めることができた。橋の名は「サン・ヴェネゼ橋」と名付けられた。
 こういう神がかり的ないわれのある橋である。急流のこの場所に橋を架けるのは、土木工事が得意なローマ人ですらできなかった偉業だという。ローヌ川に最初に架けられたこの石橋は、もともとは22のアーチに支えられた全長900メートルの大きな橋だったが、17世紀の大洪水で18のアーチが流され、現在は川の途中で切れたままとなっている。

 「アヴィニョンの橋の上で」は、一説によると、橋が架けられた喜びの歌だとされている。しかし、歌の一部の硬直したような反復を見ると、どうも純粋な喜びを歌っているとは思えない。少なくとも、作曲家ジェフロワ個人は、そうは解釈していないようだ。そのユーモラスなアレンジを見ると、どうも、渡れないプッツン橋に対するからかいの歌として捉えているように思える。
 誰も渡らない橋ならば、みんなで踊ったところで平気なわけだ。子どものころ感じたストレスも、これですっきりと解消されることになる。

  そこで、歌の成立年代を調べてみることにした。渡れなくなってから作られた歌なのか、それ以前に作られた歌なのか、それによって意味合いも違ってくる。
 その結果、歌が作られたのは19世紀であることが分かった。サン・ヴェネゼ橋が「渡れない橋」となって、少なくとも101年以上経ってから誕生した歌なのである。
ということは、やはり、これは喜びの歌ではなく、からかいの歌なのではなかろうか?
 「○○がとおる ○○がとおる ○○がとおる ○○がとおる」
 解釈は、人それぞれということになろうが、この不自然な繰り返しは、はやし立てていると解釈したほうが、ぼくとしては感覚的にしっくりくるのだが…。

                          (2006年 3月)





inserted by FC2 system